2023/05/1
⬆️行った
近代のシュルレアリスムの絵画や版画を集めた企画
時代的には19世紀後半~20世紀にかけての西洋の画家の作品が多くて、このあたりは近代化が超スピードで進んだり第一時世界大戦があったりでめまぐるしく 当時革新的だったであろうシュルレアリスムという表現がこのあたりで発展したっつーのはなんとも 社会的に大きな変化があった時期には人の考え方も変わるし新しいものが生まれやすいんね〜と 結果論...?知らん知らん
シュールって一口に言うけどなんなんすかね
当時出てたシュルレアリスムのアート情報とか載ってる専門誌が『ミノトール』で これ実は小林製薬の新薬じゃないんですよみなさん 頭は牛/体は人間の怪物ミノタウロスから来てるらしいす
シュールを扱う雑誌を作ろうとしてる人にとってタイトルにふさわしい"シュールの象徴"がミノタウロスだったってことね 確かに知名度もあるしわかりやすいわね。シュルレアリスムって概念だからまさにこれ!ってものや単語での表現は思いつかないけど 現実ではありえない・理不尽・ナンセンス・生けるものっつーミノタウロスがその象徴を担ってんの適役だしよく探し出したな、シュールのアイコンたる概念をというカンジ
この企画 『生の芸術』でテーマが一貫してるらしいが なるほどたしかに生、ブキミなほどに生
作品にほんのり生命が息づいてるとかそういうレベルじゃなく、100m走った直後みたくすーはーすーはーしてるし ゲラゲラ笑ってるし 今にも叫び出しそうなダイレクトな"生"がありましてよ
モチーフが人間のものは胸と尻が極限まで誇張されており。モチーフが無機物でも月に顔描いちゃうなどして無理矢理生きさせ。色遣いはもっぱらド原色、虹をどーん...。陽気さ加減がWANIMA。
ハンスベルメールの『マリオネット』、線が超ほっせ〜〜〜銅版画なんだけど、注目すんのはその線に漫画用Gペンよろしく強弱があるところ。なめらかなメリハリある線が躍動感あって本当にマリオネットが踊っているようでしてよ。生きてる/動いてる を静止画で線だけの力によって表現するの、漫画におけるアクションシーンの技法よな
一方で死を感じる作品も共存してるワケ。そらまぁ生があれば死もあるげなぁ
風景画なのだが、前述のマリオネットと同じく線が細い銅版画だけど雰囲気がまるっきり違う。 単色刷りのため黒しか無く モチーフも娼婦とかしゃれこうべとか不穏なカンジで ヒェ〜切り裂きジャックとかジョジョ1部の第一話序盤 そのへんのイメージですヮ
醸し出す雰囲気がウエットで陰があるのが美しいが、あまりにも...暗い...。説明を読むと、画家が精神障害持ちだったり色盲あったりと病みがちで アァ〜そうでしょうねわかる。ごびょうき展覧会なんかな
でも病むというのも一つの生の証なんじゃないか説ある。手首切って血が流れて「自分、生きてる」を実感することもあるらし〜じゃんそのテの方々は。陰鬱な行動や陰鬱なモノを生み出すことで自分が生き永らえられるなら病みも立派な"生"です
フランスが生んだあの激重ネガティヴポエマー・ボードレールさんの詩集の挿絵に使われてたのイカニモすぎてウケちゃった 解釈一致すぎるだろ
みなさんのボードレールの入り口はなんでしたか?あたしは押見修造の惡の華です 中学のときちょうど連載してまして、アーバンギャルドや大森靖子を聴き典型的なこじらせ厨二を患っていた当時の自分が影響を受けないはずが無かったのです。嫌な思い出ですがそれがあるから今の自分があるのですよね でも厨二を積み上げて積み上げた上で今の自分が存在するんだとしたらやっぱゴミやな思うわ 厨二の上で成り立つあたし しにて〜ッ ゎら
全体を見て個人的に思ったのが『ガキっぽさ』、あえてこの表現を使わせてもろて
"生"を感じる作品では 子供が喜びそうなというのか、おもちゃやアニメーションのような カラフル・動きを感じる・楽しい の要素が入っていて
例えば原色のデフォルメされた鳥の彫刻 look like the つみき。 作品に触れないで下さいの注意書きが無かったらうっかり触っちゃいそう、そんな親近感がある
シュールもそうだけど現代アート作品とかに対してでも言われがちな「子供のラクガキみて〜だな」、これってある意味的を射てるかもしれん。例えばただ絵の具をぶちまけただけですみたいな、作者は思想があるんだろうけど自分含む一般ぴ〜ぷるにはどこらへんがアートなのかわからんときに使われる表現ですけど 今回のはそういう嫌味ではなく 展示を見るとマジで『子供のじゆうがちょうから抜け出てきたような』ものが見受けられまして
シュルレアリスムって作家個人の思想と共に在るものだけど、それを絵や彫刻という見える形で表現したら『子供のラクガキ』になってんの。息をして動いて色に惹かれて、人間ってシンプルなもんなのかもしれね〜わね 子供みたいに
一方で前述のボードレール銅版画のような暗い作品はどうなのかというと、これもやはり違った意味で『ガキっぽい』
『慈善週間』というタイトルで、内容は死・血液・洪水を表した絵。「ほのぼのタイトルにあえてしんどいテーマを潜ませたろ...w」「みんなは知らずに楽しんでるけど俺だけは分かってます...w」じゃないんだよ。笑顔の仮面を被ってるけどひっぺがすと恐い顔してるみたいな 黒歴史ノートによくあるやつだろこれ。物事の裏面を悲観的に想像しがちな中学生イズム。
カールプロスフェルトの『花言葉』。これは普通に写実的な花の絵なんだけど、よく見るとうぶ毛や繊維がびっしり描き込まれてるし種子も剥き出し。あえてキモくしてるだろオメー、描き方に悪意が見えるぞ。説明を読むと「植物は美しいけど花の内部は実際には醜いよ、枯れるとゴミだし根なんかうじ虫みたいだよ」らしいが みんなが楽しんでるところに正義ヅラして「真実はこれだ!」ってわざわざ提示するのガキすぎるよ。
J.J.グランヴィルによる『くだらない話』という本の挿絵。本に「象牙のような額、サファイアのような眼、バラのような頬、パールのような歯」っつー表現の文章があり、これに挿絵をつけることになったグランヴィルはなんと マジで文の通りに額に象牙を置き、眼にサファイアを入れ、頬にバラを咲かせ、歯にパールを並べた人の絵を描いていた...。あのさぁ、比喩じゃん。「へ〜それって何時何分何秒地球が何回回ったとき〜?」とか言って煽る嫌味ったらしいチョガキと同じものを感じる。
これらのムカつく中学生的マインド。決して不快なものじゃなくむしろ愛おしいくらいよ。みんなこういう時期を通ってきたはずだし、自分も通ったよ。あたしがアーバンギャルドを聴いて惡の華を読んでいたとき、みんなも倉橋ヨエコを聴いて芥川龍之介を読んでいたはずだよ。違うとは言わせねえぞ。こういうときを経てるから今を生きてるし 暗くたって"生"ですね
明るいシュルレアリスムは素直な幼児・暗いシュルレアリスムはひねくれた少年 違った意味でどっちもコドモだし 非現実的な妄想や夢はコドモの特権
夢を芸術という形で可視化する これがシュルレアリスムの一つの価値なんかなおもた